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御由緒

​ 八幡神社(通称神明八幡神社)の御由緒は、西宮市大市八幡神社伝によれば、大同元年(804年)に京都の石清水八幡宮から分霊された後、芝村の祠に再分祀されたと伝えられている。正確な創建年月は不詳ではあるが、少なくとも大同年間にはこの地で信仰されていたと考えられる。

 旧社地は西福寺に隣接したところにあり、現在は由緒碑、四良右衛門の供養碑を含めて西福寺隣に境内飛地として残されている。昭和十一年に遷座した際には、銅葺流造の本殿、銅葺切妻造の祝詞舎、銅葺入母屋造の拝殿からなる立派な社殿が建立された。惜しくも戦災によりその殆どが焼失してしまうが、昭和二十五年には総檜造で現在の社殿が再建されることとなった。氏子・参拝者の信仰も厚く、山手幹線を臨むこの地に御鎮座されている。十月に行われる秋祭り(例祭)では、子供神輿が氏子地域を巡行し、大いに盛り上がる姿が風物詩となっている。

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​御祭神

 應神天皇(誉田別尊)八幡大神(やはたのかみ、はちまんおおかみ)は、日本全国で信仰される神で、清和源氏をはじめ全国の武士から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。神仏習合時代には八幡大菩薩とも呼ばれた。

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もどりの神さん

 古くからもどりの神さんという信仰があり、当社でお祈りすれば家出をした人や、行く先が判らなくなってしまった迷子が帰ってくるということでお参りされていた。それには下駄の鼻緒を狛犬の足もとに結ぶと一層よく聞き届けられると言われていたという。昨今では鼻緒の代わりとして、履物の紐を結びつけて迷い人・探し人のもどりをお祈りしている。

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神馬

 八幡大神への信仰から、戦時中に出征した夫・縁者の武運長久を願い、他郷からも多くの祈願参拝があった。現在では勝負事の神様として、分けても社殿前の神馬は、勝負に臨む人が神馬の足を撫で、ご神徳にあやかろうとする姿が見られる。

​ 今の神馬は、昭和四十七年にご寄進されたもので、その姿は今にも駆け出しそうな迫力がある。

​義人四良右衛門

 義人四良右衛門は、文政七年(1824年)に村の窮状を訴えるがため、この地を治めていた青山尼崎藩主への直訴を行った人物である。当時の芝村の中でも治水の問題など様々な問題を抱えていた里の現状では年貢を納めることが厳しいと判断した四良右衛門は、藩主に対して命がけの直訴を行ったのである。

 この犠牲的精神と功績を讃え、後世に四良右衛門の精神を語り継ぎ御霊を祀るため、元宮(境内飛地、西福寺隣)の四良右衛門碑の前で、毎年春に地域の人びとの参拝のもと、四良右衛門祭が厳粛に執り行われている。

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